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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(あ)1411号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人杉本昌純、同笠井治、同小野正典、同遠藤直哉、同横田雄一の上告趣意は、違憲をいう点を含め、その実質は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

しかしながら、所論にかんがみ、職権によって調査すると、原判決は左記の理由により破棄を免れない。

一  本件公訴事実は、「被告人は、昭和五一年五月二三日午後四時二五分ころ、東京都千代田区丸の内一丁目八番二号先路上において、労働者、学生らの集団示威運動に伴う違法行為を制止、検挙する任務に従事中の警視庁第七機動隊勤務警視庁警部補大脇和喜夫に対し、右足でその左大腿部を一回足蹴にする暴行を加え、もって同警察官の右職務の執行を妨害したものである。」というものである。

なお、被告人は、第一審判示の集団示威行進において、「同対審」狭山荒川区民共闘会議の梯団(構成員約二〇名)に参加し、行進の途中から梯団の先頭部列外に位置してハンドマイクを用いてシュプレヒコールの音頭をとっていたものであること、被告人らの梯団は、シュプレヒコールをしつつ、時には道路中央線付近に及ぶ蛇行進を繰り返すなどしながら、東京都八重洲北口前付近に到達したところ、同所付近で、違法な集団示威運動の規制と交通確保の任に当たっていた警視庁第七機動隊第一中隊第一小隊(小隊長大脇和喜夫警部補)の規制を受け、同小隊から併進規制されながら公訴事実記載の場所付近に至ったものであることは、一、二審判決がともに認定するところであり、第一審公判において、右大脇小隊長(以下、大脇という。)は、被告人から公訴事実のような暴行を受けたとして、第一審判決三丁裏一二行目ないし五丁裏二行目までに記載のような証言を行ったこと、これに加え、同小隊の矢ケ崎八千代巡査及び目黒友春巡査部長(以下、それぞれ矢ケ崎、目黒という。)は、被告人の右暴行を目撃した旨証言し、藤森芳巡査及び第七機動隊長青木徳雄(以下、それぞれ藤森、青木隊長という。)も、右暴行の存在を推認するに足りる被告人及び大脇の行動を目撃した旨証言したことが、記録上明らかである。これに対し、被告人は、大脇を足蹴にしたことはない旨一貫して主張しているところであって、その主張にかかる事実関係の要旨は、第一審判決二〇丁表五行目ないし同丁裏一二行目までに記載のとおりであること、荒川区民共闘会議の梯団の構成員であった森田正美、岡田行雄及び吉田勉が、被告人の供述に沿う証言をしていることも、記録上明らかである。すなわち、警察官らの証言と被告人の供述とは、暴行の存否において相対立するばかりでなく、被告人らの梯団が公訴事実記載の場所付近に来てから被告人が逮捕されるに至るまでの経緯全般について甚だしく相違しているのである。そして、本件において、公訴事実記載の暴行を認定することができるかどうかは、一にかかって前記警察官らの証言の信用性を認めうるか否かにある。

二  第一審は、大脇らをはじめとする警察官証人らの供述の信憑性については、いくつかの疑念をさしはさまざるをえないうえ、被告人の供述を単なる弁解として排斥することはできないとして、被告人に無罪を言い渡した。

これに対し、原審は、第一審判決が警察官証人らの供述の信用性を疑うべき根拠として説示するところは、いずれも支持することができず、かえって各供述はその大筋において十分信用するに値するものと認められ、また、第一審判決がたやすく排斥し難いものとした被告人の弁解は到底採用することができないとして、検察官の事実誤認の論旨を容れ、第一審判決を破棄して公訴事実と同一の事実を認定したうえ、被告人を懲役四月、執行猶予二年に処した。

三  しかしながら、記録に徴すると、原判決は、少なくとも次の各事項に関する部分において、証拠の正当な評価に基づかない明らかに不合理な判断等を含むものと認めざるをえず、原判断をそのまま是認することは到底できないものといわなければならない。

1  まず、第一審判決は、もし被告人らの梯団が、大脇らの証言にあるように、東京駅八重洲北口から第一鉄鋼ビル入口前付近までの間に道路中央線に達するまでの蛇行進を二回繰り返したというのであれば、違法な集団示威運動を含む違法行為の採証のため写真撮影に従事していた警察官五十嵐一敏(以下、五十嵐という。)が、青木隊長から違法状況の撮影を命ぜられていながら、たとえ適当な撮影位置を求めて先行したとはいえ、右蛇行進の状況を撮影しないはずがないにもかかわらず、その間の写真は右梯団が左側第一車線に規制された状況を撮影した「五十嵐写真24」があるだけであるのは不自然であるなどとして、右の点に関する大脇らの証言にはかなりの誇張が含まれているといわざるをえず、このことは被告人の暴行の動機とも密接に関連するとしたのに対し、原判決は、写真撮影の実際を考えると、第一審判示のような大規模な集団示威行進の中の一小部分である被告人らの梯団が二回程度の蛇行進をした場合に、その状況の全容が撮影されていなくても、特に怪しむに足りず、五十嵐の証言にはなんら不自然な点はなく、「五十嵐写真24」に写っている状況は、むしろ大脇らの証言を裏付けるものであるなどとして、前記第一審の判断は、警備、採証の実際に思いをいたさず、事態の正当な理解を欠く明白な誤謬であるとした。

しかし、五十嵐の証言と青木隊長らの証言とを対比すると、警察官証人らの述べる道路中央線に達する蛇行進の状況を撮影した写真が存在しないことは、やはり不自然であるといわなければならない。すなわち、五十嵐の証言によれば、同人が青木隊長から被告人梯団の違法行為を撮影するよう指示を受けたのは、「五十嵐写真24」撮影の直前であるというのであるが(記録七冊九九丁裏ないし一〇〇丁)、もし、青木隊長、大脇らが一致して証言するように(記録一〇冊一一六四丁、一一冊一五五〇丁の同人ら作成の各図面参照)、同写真に写っている場面の前後において道路中央線に達する蛇行進をしていたのならば、五十嵐は、指示を受ける前呉服橋方面から逆戻りしてきたというのであるから(記録七冊一〇〇丁)、同写真撮影の前にされた蛇行進を目撃していてよいはずであるのに、そのような証言を全くしていない。また、右写真撮影の後にされたという蛇行進について、五十嵐は、ふかん撮影をするなどの必要から呉服橋方面へ先行していて被告人らの梯団を見ておらず、振り向いて見ると歩道上における被告人の逮捕状況があったので、写真25を撮影した旨証言しているが、被告人らの梯団の行動状況を全然見ないで、約二分間(写真24と25との撮影間隔)、数十メートル(写真24及び25の各撮影場面の間の距離は、弁護人笠井治作成の逮捕現場付近写真によれば、七七メートル。)も先行するというのは、五十嵐が被告人らの違法な集団示威行進の状況の撮影を目的としていたことからして、まことに不可解といわざるをえない。被告人らの梯団の全体像をとらえる必要があるとしても、約二〇名から成る小規模の梯団にすぎないのであるから、五十嵐の述べるような先行の仕方をする必要があったとは思われず、青木隊長から命じられた任務を全うするためには、当然、後ろを振り返るなどして時々刻々変化しうべき梯団の位置状況を確認しつつ、違法行為を的確にとらえて写真撮影しなければならなかったはずである。原判決は、「本件当日行われた第一審判示の集団示威運動のような大規模な行進は、道幅の広い幹線道路上を、多数の参加者が長大な隊列を組んで刻々と移動行進するものであり、その間において、たまたま、隊列中の一小部分が、許可条件に違反し、蛇行進等の違法行動を敢行するような場合、それが、参加者のどの部分により、どの地点で、いつ開始され、いつ終了するかは、一般に容易に予想できないところである。しかるに、このような違法行動の採証のため、沿道全域にわたってくまなく写真班を配置するようなことは実際問題として不可能であり、限られた人数の写真班をもってしては、その対応できる場面もおのずから限局されることはもちろんであるから、違法行動が発生した場合に、写真班員が、ただちにその一部始終を逐一写真撮影できる地点に位置していることは、必ずしも期待できない。」旨判示しているが、右判示は、一般論としては正当であるとしても、現に撮影対象の近傍にいて特定された目的をもって行動している本件五十嵐の場合については妥当しない議論であるといわなければならない。また、原判決は、撮影者が撮影すべき対象を認識した後においても、実際に撮影するまでには種々の準備操作等が必要であって、その間にいわゆる決定的瞬間が過ぎ去り、結局、目的物が撮影できないことも少なくないというが、五十嵐は、撮影しようとしたが間に合わなかったと述べているわけではないから、右の議論も、本件の場合にはあてはまらない。さらに原判決は、「五十嵐写真24」に写された状況は、被告人らの梯団が「圧縮規制」に素直に従おうとせず、これがない状態をもたらそうとする態度にほかならず、このことはとりもなおさず道路中央部に向かって進出できる態勢に持ち込もうと努めていることを意味するとして、大脇らの証言する蛇行進の存在を裏付けるものと解する余地があるとするところ、被告人らの梯団が平穏かつ整然とした行進をしていたものでないことは、右写真からもうかがえなくはないし、規制に反発ないしは突き当たっていることから、蛇行進をしようとする企図を推認することは不可能ではないが、このことだけをもって、直ちに、現実に規制を排して道路中央線に達する蛇行進が行われたと結論づけることができないことはいうまでもない。大脇らの証言のように、「五十嵐写真24」がまさに蛇行進を開始しようとするところであり、現にこののち道路中央線に達する蛇行進が行われたものであるとすると、五十嵐がその状況を撮影しなかったことに対する疑問は、さらに強いものがあるというべきである。

そのほか原判決が述べる点を考慮しても、被告人らの梯団が道路中央線に達するまでの蛇行進を二回繰り返した旨の大脇らの証言にはかなりの誇張が含まれているといわざるをえないとした第一審判決の判断には相当な根拠があったものというべく、前示のような理由をもって右判断を明白な誤謬であるとした原判断は、これを是認することができない。

2  大脇ら警察官証人らが証言する被告人の逃走の地点、方向と、被告人の供述するそれとが著しく異なっていることは、関係証拠上明らかであるところ、第一審判決は、「ガードレールの切れ目を通って被告人を追跡した」旨の目黒の証言及び「野坂写真18、19」に写っている状況を考慮すると、この点に関する被告人の供述は一概に否定し去ることはできないのであって、大脇らが一様にこれと異なる証言をしているのは、その証言全体の信憑性を疑われてもやむをえないとしたのに対し、原判決は、被告人の供述は信用性が必ずしも高くなく、被告人の逃走の地点と方向は、大脇らの証言するとおり認定すべきであるとした。

しかし、原判断のうち、とくに目黒の証言の評価に関する部分は、十分な証拠上の根拠を欠如する判断、証拠の正当な評価に基づかない判断、あるいは経験則に反する判断を含むものといわざるをえない。原判決は、まず、目黒証言のうち、「被告人は、ガードレールを飛び越えた。その際ガードレールにひっかかってころびそうになった。」「被告人と自分はほぼ同じ経路を走った。」との部分及び被告人の「ガードレールを飛び越えた際、ちょっとつまづいた。」旨の供述を根拠に、仮に被告人が配電盤ボックスの呉服橋寄りから歩道に上がったとすれば、そこにはガードレールのない部分が二つもあるから、被告人はたやすくここを通り抜けることができ、わざわざガードレールにひっかかって転倒する危険を冒してまでその付近のガードレールを飛び越す必要は全くないはずであるし、また、被告人が配電盤ボックスの東京駅寄りを飛び越えたのであれば、この側にはガードレールの切れ目は全くないから、「被告人とほぼ同じ経路を走った」目黒がガードレールの切れ目を通行するわけにはいかないし、被告人は配電盤ボックスの東京駅寄りを飛び越え、目黒はバス停の乗降口(すなわち、ガードレールのない部分)を通り抜けたとすることも、「被告人とほぼ同じ経路を走った」とする目黒証言と抵触するのであって、結局、被告人が配電盤ボックス付近でガードレールを飛び越えたものと認めることは、現場の状況及び目黒証言との間に救い難い矛盾を生じ、まことに不自然の趣を呈するとする。しかし、目黒の証言は、「被告人はガードレールを飛び越えたが、自分はその切れ目を通って追跡した。」というものであって、被告人と全く同じ経路を走ったとするものでないことは、その証言自体において自明のことであるから、原判決の右説示は正当ではない。また、原判決は、目黒証人の記憶するのが、バス停横のガードレールのない部分であるのならば、一見してバス停と知られる状況にあるから、「ガードレールの切れ目」などということなく、当然「バス停」とか「バス乗場」とか述べたはずであるというが、十分な論拠に基づかない推論というほかない。次に、原判決は、警察官証人らが一致して証言するように被告人が飛び越えたガードレールが第一鉄鋼ビル正面入口右端前付近であると認めることに特段の難点がないとし、目黒の「ガードレールの切れ目から行ったように覚えている。」旨の供述が、他の場合との混同その他の思い違いでないとすれば、目黒は、たまたま少なくとも同人が通れる程度に開かれていた可動式ガードレール部分を通り、もしくはみずからこれを開閉して通り抜けたものと解されるとする。しかし、目黒の右供述は、被告人の逃走、目黒らによるその追跡と結びついた不可分のものであって、他の場合との混同とみる余地はないし、また、供述の具体性からして、これを単なる思い違いとみることも困難であるところ、当時可動式ガードレールが開いていたこと、あるいは、目黒がみずからこれを開閉したことを認めるべき証拠は皆無であるばかりでなく、「野坂写真20」に写っている右ガードレールは閉鎖状態にあるように見えることは原判決も承認するところであり、弁護人遠藤直哉作成の写真撮影報告書により認められるその構造及びその開閉のために必要と思われる操作からして、原判決が述べるような、被告人を逮捕するため追跡中の目黒がわざわざこれを開閉し、しかもその開閉になんらの困難も覚えず、開閉したことについて記憶を失うというがごとき事態は、通常想定し難い。結局、目黒証言は、現場付近のガードレールの設置状況からみると、被告人の逃走地点を第一鉄鋼ビル正面入口右端前付近とすることと矛盾する証拠であるばかりでなく、逃走地点が、被告人が供述するとおり、第一鉄鋼ビル南端近くの配電盤ボックス付近と認める有力な根拠になるものといわなければならない。

そして、「野坂写真18、19」に写されている状況は、警察官らの証言と矛盾するとまではいえないにしても、逃走経路が被告人供述のとおりであったとする方が、より自然に右状況を説明できること、藤森及び矢ケ崎共同作成にかかる現行犯逮捕手続書の添付図面及び大脇作成にかかる昭和五一年五月二八日付の見取図(記録一四冊九四四丁)では、逃走地点が、警察官らの証言よりもさらに呉服橋交差点寄りとされていたことなどに徴すると、逃走地点に関する警察官証人らの供述の一致は、果して各証人の記憶が一致している結果であるのかどうか疑問であり、したがって右供述の一致の故に信用性が高いとは必ずしもいえないことをも考慮すると、被告人の逃走地点・経路が被告人の供述するとおりであると断定できるかどうかはともかく、少なくとも、この点に関する警察官らの証言の信用性に合理的な疑問を容れる余地があることは明らかであって、原判断は是認し難いといわざるをえない。

3  大脇は、第一審において、「被告人は右足の靴の爪先で一歩位前方にいた大脇の左大腿部前面付近をぽーんと蹴った。警備終了後、蹴られた箇所を見たところ、一〇ないし一五センチ四方位の発赤があり黒ずんで痛みも残っていたことから、三日位の間湿布薬を塗布して自家治療したところ、痛みは一週間位でとれた。」旨証言した。第一審判決は、右証言につき、当日被告人は爪先の丸くなっているゴム底のビニール製レインシューズを履いていたことが認められるところ、右証言にいうように一歩位の間隔を置いて右レインシューズで大腿部を蹴られたとしても、三日間も湿布薬の塗布を必要とし、痛みが一週間も続くほどの傷害を受けるものか甚だ疑わしいばかりでなく、仮に右程度の傷害を受けたとすれば、専門医の診察治療を求め、公務執行妨害罪の証拠として診断書の作成交付を求めるのが捜査官としての常識であるのに、これをしなかったのは、傷害が果してあったのか甚だ疑わしいというにとどまらず、被告人の暴行そのものがあったかどうかすら疑わしめるものがあるとした。これに対し、原判決は、被告人の履いていた靴が運動靴や上履靴のような軟質のものでなかったことは関係証拠上推認するに足り、本件暴行の態様に関する大脇らの証言によれば、同人の証言のような結果が生じることになんら不自然な点はないし、医師の診察治療を求めなかった理由についての大脇の説明にも、少しも不自然、不合理な点がなく、十分に首肯できるとした。

しかしながら、三日間の湿布薬の塗布を必要とし、痛みが一週間続く程度の傷害は、本件のような事案において、その原因となった暴行を公務執行妨害罪として立件する以上、傷害罪としても立件することがとくに異とされない程度のものであると考えられるのみならず、仮に立件しないとしても、受傷の事実を立証する証拠は公務執行妨害罪の重要な客観的証拠となりうるのであるから、いかに複数の警察官の目撃がある現行犯逮捕の事案であるとはいえ、専門医に診断書の作成交付を求め、あるいは患部の写真撮影をするなどの証拠保全をしておくのが、警察官として通常の措置であったろうと考えられる(本件においては、被告人は本件暴行を認めていたわけではないから、なおさらである。)。大脇は、医師の診断を受けなかったことにつき、「機動隊は、警備出動のたびに多数の隊員らが発赤、かすり傷程度の傷害を負っており、これらの隊員がその都度休暇をとり医師の診断を受けていたのでは、警備出動にも支障を来たすところから、軽微な傷害の場合には、ほとんどの隊員が自分で手当をして済ませていたもので、大脇としても、小隊長たる職責にかんがみ、この程度の傷害で警備出動に支障が生じてはならないとの配慮から、あえて医師の診断を求めることなく、職務を終り帰宅してのち自家治療した。」という趣旨の説明もしているが、事件として立件されていない一般的な受傷については、右のような説明が成り立ちうるとしても、本件のように被疑者を逮捕した事件にかかわる受傷については、右の説明は納得できるものであるとはいえない。のみならず、大脇が事件の翌日付で作成した被害届には受傷の事実の記載がなく(なお、原審において弁護人が刑訴法三二八条の書面として請求した大脇の検察官に対する昭和五一年五月二八日付供述調書第九項には、「翌朝まで痛みが続いた」旨の記載があるというのであるが、そうであるとすると、事件から五日後の時点における右供述の趣旨は、事件の翌朝を過ぎてからは痛みがなくなったことを意味すると解するのが当然であって、同人の第一審における「三日間湿布薬を塗布し、痛みが一週間続いた」旨の証言と明らかに矛盾するものといわなければならない。)、原審において、大脇は、「上司である杉森侑中隊長(以下、杉森という。)に傷を見せた。」旨証言したが、杉森は、「大脇から傷を見せられた記憶はないが、もし見せられていれば、医者に行けと言っていると思う。」旨証言しているのである(記録一四冊一〇一四丁裏)。なお、大脇は、「本件について、杉森から取調を受け、供述調書を作成された。」とも証言したが、杉森は、「機動隊に在職中、供述調書を作成したことは一度もない。」旨、この点についても大脇の証言を明確に否定した(記録一四冊一〇一五丁)。このように杉森の証言には、大脇の証言の信用性に影響する部分があるのに、原判決が杉森の証言についてなんらの言及もしていないのは、正当とは思われない。

右のような諸点にかんがみると、受傷に関する大脇の証言には相当の疑問を容れる余地があるものというべく、同証言に少しも不自然、不合理な点がないとした原判断は首肯し難い。

四  以上のとおり、原判決は、証拠の正当な評価に基づかない明らかに不合理な判断等を随所に含み、しかも、これらの判断は、原判文上、第一審の無罪判決を破棄し有罪の自判をするについて、その理由の重要な部分を占めているものと認められるから、原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認の疑いがあるといわざるをえず、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

よって、刑訴法四一一条三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文に従い、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 和田誠一 裁判官 団藤重光 裁判官 藤崎萬里 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

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